作者ブログ
母が逝った日
今日のブログは公開するけどこっそりとします。
いつもはSNSなどでもシェアするのですが
超私事で日記として残すだけなので
このブログにわざわざきてくれる人だけ読んでもらえればと思います。
2月1日、母が亡くなりました。
年明けから食欲がなくなり
微熱が出たりするようになってきて
施設の人から看取り期間になることを言われました。
看取りになると面会が自由になるので、父と姉は毎日会えたようです。
私は週に一度、姪っ子たちも時間があれば会いに行ったせいか、
母は食欲も出てきて看取り解除になるかもという話も出ていました。
でも亡くなる二日前くらいから体調が悪くなり
当日昼前に姉から連絡が。
でもまだ大丈夫と思っていました。
今日は泊まりになるだろうし、
もしものことがあるからいろんな準備をしてからと思い、
喪服の用意をしたり買い物したりして、
家をでたのは3時過ぎ。
高速道路に乗る前、姉からLINE。
画面に今亡くなったの文字が。
間に合わなかった。。。
LINEを開く余裕はなかったので、
そのまま運転して行くことにしました。
着いてから姉から様子を聞くと
最期にパッと目を開いて
父と姉の顔を見た数秒後亡くなったのだとか。
もう体を動かすことさえできなかったのに
首を動かしてじっと見たらしい。
よくドラマで最期にひとこと言って亡くなるシーン、
あんなことはありえないって話だけど、
近いことが起こり、施設の人もビックリしたそうです。
あと1時間、時間を短縮しようと思ったらできたのに。
喪服の準備なんてもう一度帰ってからでも間に合ったのに…
バカだった。
母は眠っているようで、化粧をしてもらって
とても可愛らしかった。
今にも動きそうで出棺までずっと実感がありませんでした。
それからは移動や葬儀の打ち合わせで忙しく。
一日明けて3日が通夜、4日が葬儀になりました。
葬儀場は家族葬の出来るところで、
ホテルのスイートルームのような間取りで
リビングや畳の部屋、ベッドルームやバスルーム
パウダールームもあり、とても感心しました。
お通夜の夜は、父、姉、私の3人で過ごし
姉とアルバムを見たり、深夜まで話をしました。
葬儀の日は出棺から火葬場で
実感が湧いてきて
涙が止まらなくなった。
長く苦しまず逝ったものの
10年前からの認知症はかなり進んで
ほとんどのことがわからなくなってしまった。
母の人生や自分との思い出を思い、悲しくなりました。
父は案外しっかりとして気丈でした。
ずっと覚悟してて、しっかり送ろうと思ってたんでしょうね。
母の施設に行くために自転車を買ったり、
毎日毎日母を思い過ごしていたのでこれからが心配です。
10人だけの家族葬。
豪華なことはやめて母の好きな花でいっぱいにし、
母にまつわるもので飾りつけを。
それぞれの家族の思いやりや優しさが溢れていて
素敵な葬儀になったと思います。
家に帰ってからは珍しく3人で歌番組を見たり
けんちがマッサージをしてくれたり
2人の優しさが伝わった夜でした。
家族っていいな。
と思った母の葬儀の日でした。
母が描いたけんちの絵。